昼行燈@神戸 なんでも自分でやってみる

生活コストを削減するために、自分でできそうなことは自分でやってみます。

自己紹介というもの(学生のころ)

自己紹介っぽいことを兼ねて、自分の学生時代の振りかえりなど・・・

 

幼稚園のころ

 家の近くの幼稚園に通っていました。
当時のエピソード的記憶なんてほとんどありません。

覚えていることと言えば、スモックに通園カバンをぶら下げてたかな?程度の記憶。

あ、相手は誰だか覚えていませんが、けんかして滑り台の横で立たされたことがあるようなないような・・・。 

 

小学生のころ

 これも同じく家の近く。 歩いて2~3分でした。

俗にいう、新興住宅街、それも小学生のころにちょうど好評分譲中でしたので、とにかく転入生が多かった記憶があります。

学校も、新校舎が建ったりしていました。

 

ちなみに、1~6年生のクラス担任の名前は半分ぐらいしか覚えていません。

卒業アルバムは、捨てました。(嫌な思い出とかじゃなくて、見返すこともないので)

 

中学生のころ

 いわゆる、中高一貫校にお受験して通いました。

当時、公立中学の男子「丸坊主」。

母親に、「坊主したくなかったら、受験しないと!」なんて、なんとも目先に人参てきなハッパのかけられ方で塾に通った記憶があります。

 

中学に入って気が付いた時には遅かった! 事務室と売店のおばちゃん以外に女子が居なかったのです・・・ (´・ω・`)

 

 中高一貫校で高校受験がない故に、勉強全然してなかったですね。

中学生の時に勉強したといえば、遊びすぎて、学年順位下から一桁になった時に、家庭教師をつけられた1年弱かな・・・

おかげで、高校に内部進学した時には英語科に滑り込むことができました。

卒業アルバムは、捨てました。

 

高校生のころ

 中学の時は学年あたり、3クラスの120人程度ですが、高校になると一気に11クラス、約450人に増えました。

 ただ、学年に1クラスしかない英語科(世間でいう、文系特進クラスってやつ)だったので、3年間クラス替えがありませんでしたので、ほどんど交友関係は増えなかったです。

高校2年には、生徒会の副会長を拝命いただいた記憶があります。

卒業アルバムは、捨てました。

 

浪人生のころ

 世の中そんなに甘くはないとようやく気が付いた頃。

大学受験は「運」や「つき」でなんともなりません。 

人事を尽くしたもののみ、天命を待つことが許されるというわけです。

 家の近くの予備校では、また友人たちと遊んでしまうことが予想されましたので、すこし遠い予備校に通いました。

 4~7月は人生の中で一番まじめに勉強した4か月間なのは間違いありません。

 

 ここで、現役生の時に落ちた大学を志望校にした模試で、A判定&志望者中全国2位の成績を取ったことが油断の元。

 せっかくなのだから、この勢いを継続して上の志望校を志せばよかったのですが、

「この時点で、A判定なのだから合格は間違いない」

 と勝手に思い込み、8月以降はだらだらとして浪人生活を送っていました。

 

  4か月間まじめに勉強すれば、偏差値50~52程度から、60~63までは上がるもんだと妙に感心したところ。

 ここで、自分は「やればできる子」と勝手に勘違いする子でもあります。

 

大学生のころ

 それ以上でもなく、それ以下でもなく・・・

浪人生のころに模試でA判定を取った大学に案の定入学しました。

 大学1年生の冬、成人式の翌々日の早朝、激しい揺れで起きました。

そう、阪神・淡路大震災です。

 とうじ、情報学部であったこともあり、2000年問題でにぎわうIT系企業への就職を考えていましたが、現役卒で先にIT企業に就職していた友人が過労から体調を崩して入院したりで、急きょ地元企業へ就職することになりました。